30.アカシックそれは感情あればこそ

Universal emotion

筆がなかなか進みませんでした。(実際はタイピングですけど)

頭の中にあるのに、言葉や文に現わすのってこんなに難しかったっけ?

言葉を噛み砕こうとすればするほど解らなくなるって、会話でもよくあるのです。
なので私は口語での説明がとてもヘタクソです。特に感情面。

それはともかく、脳のやりとりができず詰まっていましたが、待つことにしました。

そんなある朝、寝起きのとりとめもない回想や思考のさ中、「意識は生きもの」と脳内から音なき声が聴こえました。

意識(=生命)が肉体という物質の器に宿っている、のを実感した瞬間でした。

そこから、「現象とは意識が創り出すもの」であることが、ようやく腑に落ちました。

今回のバカボンブログ学習は、

意識体とアカシックレコード
集合意識とアカシックレコード 

です。

宇宙図書館のある場所

意識が創り出すものが現象ならば、私たちが見ている共通の世界には、ある記憶を共有しているのではないかと考えました。

それがアカシックレコードという意識体。
各自の脳で造り出された意識(想念)に内包されている。
ちゃんと自分の中に存在しているのです。自分そのもの。

ですから、脳なくして魂は有り得ないのです。
我々はここで生きているだけで価値があるのです。
例えそれが崇高な想念であれ、下等な想念であれ、そこにはフラクタル内在する意識が存在するのです。

https://koji-yamada.jp/2012/07/25/010144/

アカシックレコードとは”元始からのすべての事象、想念、感情の記録…” とwikiにあります。宇宙図書館とも言われています。

宇宙誕生がどのように起こったのか、私にはまだわかりませんが、私たちの意識とは、紡がれてきた生命(=意識)の記録でもあることが理解できます。

生きることによって、宇宙図書を執筆しているようなもの?

ここで生きているだけで価値があるということを知っただけでも価値がありますね。

情報取得と集合意識

集合意識って何でしょう。

バカボン記事で、人間の考えの平均値であり脳の使用領域の平均値、と書かれています。
想念エネルギーの向き(ベクトル)の最大公約数、とも。
考えてみればなるほど、そうですよね。
こういう風に、的確な言葉に変換できる能力や、莫大な情報取得能力を持つ山田さんの脳の使用領域とは一体?えすぱー女房の小麦さん然り。

そこでまず、意識体とアカシックレコード からの要点。

『意識体、アカシックレコード考察』
・情報とは数値に置換可能な意味の連なり。

・情報とは八つの場(フィールド)。
 →それぞれのチャクラ及び階層脳に対応。

・情報取得とは、8次元(最深層脳)からの視点。
 →松果体活性化。
 《一から八のフィールドに対し、松果体の階層外側から順に感応させる》

・情報≒振動。
 →空間媒質(エーテル)の振動と時空間外に於ける伝達
松果体階層図https://koji-yamada.jp/2012/07/14/164816/
『松果体観察』 
・情報検索時、松果体が振動。

・情報と繋がる
 →松果体の外側から中に向けて階層のヒダが振動。

・脳(松果体)には情報の入り口と出口がある。

・上の図が波動(情報)と脳の普遍的関係 

情報=数置換可能意味連鎖、とはなんぞや?

集合意識とアカシックレコード コメント欄から抜粋。

情報(数置換可能意味連鎖)は8次元で構成され、例えば、立体演算可能なCPUの中にまた同様のCPUがあり、その中にまたあり、を8層重ねたのもから出力されたデータと似ていて、ちなみに一階層で256bits処理と同義だそうです。
どんだけ膨大なデータか、という感じですが、チャネリングはこの脳の全階層が発動しないとちゃんとした情報にデコードできません。

https://koji-yamada.jp/2012/07/25/010144/


では、あらためて、集合意識とはなんでしょう?

集合意識とは
脳が造り出した想念(=顕在意識)が複数集まったもの。

集合意識の次元が下がる
↓
想念の縮小
↓
フラクタル内在できる意識領域の縮小
↓
ここベクトル場の不安定化

内在する意識力が環境を造っている!

現代では、太古の昔に比べ、非覚醒の洗脳により集合意識の次元が半分以下に下がっているそうです。(弥生時代5.3次元→現在2.6次元)

集合意識(次元)を上げるにはどうすれば良いのでしょうか。

その説明とは、

ややもすると集合意識に合わせている物事の判断基準。
その判断基準を誰もがもともと持ち合わせている普遍的な感情で使うようにする、というシンプルなものでした。

普遍的な感情とは、エゴのない慈愛のような、人・自然・生き物を思う気持ち・・・。

そう考えているだけで忘れていたものを思い出し、温かい感覚になりますね。

感情を使って集合意識を上げる

一般論として、感情的になることは大人(おとな)気ない等とされていますね。

私がそうですが、子供の頃から、泣いても笑っても怒っても叱られたり否定され続けると、感情を押し殺す癖がついてしまいます。また、それを良しとしていました。
我が子にも「泣くな!」って理由も聞かずよく言ってました。ごめんなさい!

ひと頃は、「どんなときも感謝の気持ちでいましょう」とか「ネガティブな感情は捨てましょう」など、そんな本を読んでは、その通りでありそうすべきだ、と言い聞かせていました。とはいえ、できないんですけどね。

感情を抑えていると、傷つきたくない、という気持ちが却って自分を傷つけ続けてしまうという悪循環に陥ります。

思い起こせば、家族や友人との絆が深まったり、職場の人間関係が改善した時、必ずその前に感情の激しいぶつけ合いをヤっているのです。
そして、いつの間にか良き思い出に変わっています。
たとえそれが別れという結末であっても。

なので、集合意識に合わせた薄っぺらい判断ではなく、自分の率直な感情による判断が、こころと繋がり、普遍性を伴うということなのですね。
その判断、大切にしようと思いますものね。
表層脳(観念)での判断から深層脳(普遍的感情)での判断へ。

みんながそうなれば、集合意識平均次元が高くなり、そのエネルギー量が大きくなる。
基礎波動6次元〈感情〉であるところの本来の第六階層が働く脳の使い方を取得する、というのが今回の学びでした。

人間に与えられた感情と想像力。それが引き金となって自力で思い出すこと。
心をとり戻す、とはそういうことかなと思うのです。