21.観察と事実のあいだ

観察と事実は違う?

人で例えれば、観る側と観られる側の相違って確かにありますよね。

観る側が、相手の人柄や、グループ等のイメージを勝手に造ります。

それは、観察から得た自己判断に過ぎない。

観察する側の勘違い一方通行ですね。
確かにその判断に確信は持てません。

となると、自分がものを考える頭の中の定点を起点にしている限り、極端な話、この世の原因も結果も問いも答えも、全て「仮」になってしまいます。

なら、事実(真実)はどこにあるのでしょうか?

観る側と観られる側が一致した時?

いや、それ以前に、観察の仕方に問題がありそうです。

干渉なんてしないよ

今回のバカボンブログ学習は、こちらです。

重力レンズはなぜ起こるのか。
光の干渉縞がなぜできるのか。

もう、今までにないくらい何十回も記事読みましたよ。
だって、二つともその言葉自体、私個人の知識枠に全くなかったことだから。

まず重力レンズ。

重力レンズとは、恒星や銀河などが発する光が、途中にある天体などの重力によって曲げられたり、その結果として複数の経路を通過する光が集まるために明るく見えたりする現象。(by wiki)

結論は、これでした!

我々が観測(見ている)している事実とは、あくまで観測するという行為のもとにその結果が仮定されるだけであり、事実とは甚だかけ離れた一現象なのです。

https://koji-yamada.jp/2012/02/23/141616/

その内訳は・・・いつもながらの勝手なまとめ。

実世界=基礎波動のみのエーテルの連なり。
そこに神性物質が集まると天体に成長する。
天体は自転軸を中心に時間軸を形成する。

そして自身が放つ意識(平面)を
自身が創る時空(立体)の都合に合わせ放射し始め、
恒星・惑星の周りはその星の、立体の縄張りとなる。

我々は地球の創る時空のもと、
他天体の光(意識)を観測する。
我々が観察する満天の星々は、
地球の時空(次元)からの観察。

光(意識)放つ星々もまた、
それぞれの時空(次元)からそれを放出している。
その中間には時空を司る天体がある。
それは意識を介在するエーテルに影響を及ぼす。

空間の広がりや時間の連続性は天体あっての話。

意識は直線的ダイレクトに届いても、
時空(次元)の観念無くしては、
光が重力レンズにより歪んだかの如き観測結果を生む。

しかしブラックホールによる重力レンズ現象は、
上記と意味が異なる。

ブラックホールとは虚意識(波動の影響下でない意識)の塊。
ゆえにその空間のエーテルとは無関係に
その重力は他意識に影響を及ぼし、
その意味では、それが正に重力レンズと言える。

そして、光の干渉について。

光の干渉は観察する側の問題。

光は意識。波や粒子ではない。

意識は干渉しない。
つまり光は干渉などしない。

光という意識を見ている行為を、
光という物質を見ている、と勘違いしている。
その勘違いが、光の干渉を作る。

写真は念(意識)の転写に過ぎず、証拠にならない。
物理脳の視覚野は前頭葉との結びつきが強く、
画像解析同期信号と干渉が起き、縞模様の虚像を作る。

干渉縞の原因は波動の角度差による意識の偏りなのだそうです。

なんか、人間関係と似ているような。

ハートに観を持つ

この世の邪悪は、すでに始まっている宇宙の縮小(意識体や物質も縮小)により、増大する虚意識を打ち消すために、必要不可欠なもの。エネルギー転換がなされる。

虚意識=基礎波動に関係のない意識。
    余分な意識。
    空間でいうブラックホール。
人間なら、無意味な微笑み、対照のない怒り、不満足。
天体なら、自重力のコントロールを失った核融合、
CME(コロナ質量放出)も同じ。

アセンションの意味シリーズを読み終え、前回までわからなかった意味も、ようやく、理解することができました。覚醒が必要な理由も。
もう、7年半前の記事なのですが、宇宙の縮小は進んでいるんでしょうか。

覚醒とは。

覚醒=全脳活性化した状態。
霊体で受信した情報(1から8次元の波動)を
階層次元脳(8階層)で解析し、
平面脳で再構成し出力(言葉)するためには、
すべてが活性化した状況が必要。

そう言えば先日、こんな言葉が脳内に聴こえました。

『人間の一(いつ)の極に』と女性の声。
「?」って思った途端、同じ言葉が語気強く、
『人間の一(いつ)の極に!』と。

なんで怒られた?のかわかりませんが、
まあ、ぼちぼち考えたいと思います。
・・・中途半端やなあ。

私にできることは、小さなことからコツコツと。

見るではなく、心の眼で観じること。

これしか無いですね。

つまり、真実はひとりひとりの胸の中にちゃんとある。