1.『虚』

多分、人はいくつになっても、学ぶことが大好きです。

人間は、そのようにできていると思うのです。

「勉強嫌い」と思い込んでいるのは、外的な諸々の影響に過ぎません。

今は勉強が楽しくて仕方がありません。

頭を使う快感ってこんなに中毒性ありました?って思うほどです。

脳の使い方が違ったのですね。

「解ったーっ!」と「思い出したーっ!」いうふたつの感覚はとても似ていて、脳がジューシーになるのです。

年の功、塾の功。そして道祖神。

世の中は物や情報に溢れ、生活に不便さを感じることは、ほとんどなくなりました。

自分の頭で深く考えることを、長い間すっかり忘れていました。

いえ、誰しも半世紀以上も生きていると、呼吸さえままならぬほど辛いことも多々あると思います。

その都度大いに悩み考え、乗り越えてきたつもりでした。

が、その脳の使い方があまりにダサかったため、実は同じ様なトラブルや悩みを繰り返していただけなのです。

悩むことはアホらしいのです。

悩みなんて本当はないのです。

ぐるぐる思い悩むのは、出来事に対する独自の反応パターン。

それが病気を育くむ。

そのカラクリは、ずっと先の記事に出てくるはず。
ビンボーゴッドさんのしわざだったっけ…

自分で造り上げた観念が、悩みのおおもと。

深く考えることと悩むことは全く別次元でありました。

そして、ぐるぐる思い悩んでいる頃、毎朝通勤時に聴いて気持ちをリスタートしていた音楽があります。


「始めからはじめよう」/Passport  to Heaven  

記事の中で紹介されています。

かつての通勤路にある小さな道祖神社の前を、とぼとぼ歩くイヤホンの私がキュンと思い出されます。

音楽聴きながら、毎朝この石像の前で手を合わせていました。

再会

さて、第1回バカボンブログ。

の中のSF小説、「冷蔵庫の穴」。

2006年頃に山田夫妻で創作したというこの小説を、しょっぱなにドーンと掲載されたのは、波動学につながる大きな意味があるからなのでしょう。

しかし、私がそんなことを知る由もなく、以下の部分にひたすら共鳴していたのでした。

彼女もあたし同様、温もりを求めているはず。自分を愛せないまま、日々を過ごしているのだ。この一件が起きてからあたしは、『虚』という存在に親近感を抱き始めていた。それは、彼女の、そして自分の心に宿る『虚』が具現化されたものなのかもしれない。
 あたしは目を閉じ、全神経を集中させ、そっと彼女と鼓動を重ねる。あるだけのエネルギーで、間違いのない自分を守るように。

決めた。会う必要はない。会った所でそれは自分なのだ。

https://koji-yamada.jp/2011/06/21/123151/


それが、私と『虚』との再会でした。