多分、人はいくつになっても、学ぶことが大好きです。
人間は、そのようにできていると思うのです。
「勉強嫌い」と思い込んでいるのは、外的な諸々の影響に過ぎません。
今は勉強が楽しくて仕方がありません。
頭を使う快感ってこんなに中毒性ありました?って思うほどです。
脳の使い方が違ったのですね。
「解ったーっ!」と「思い出したーっ!」いうふたつの感覚はとても似ていて、脳がジューシーになるのです。
年の功、塾の功。そして道祖神。
世の中は物や情報に溢れ、生活に不便さを感じることは、ほとんどなくなりました。
自分の頭で深く考えることを、長い間すっかり忘れていました。
いえ、誰しも半世紀以上も生きていると、呼吸さえままならぬほど辛いことも多々あると思います。
その都度大いに悩み考え、乗り越えてきたつもりでした。
が、その脳の使い方があまりにダサかったため、実は同じ様なトラブルや悩みを繰り返していただけなのです。
悩むことはアホらしいのです。
悩みなんて本当はないのです。
ぐるぐる思い悩むのは、出来事に対する独自の反応パターン。
それが病気を育くむ。
そのカラクリは、ずっと先の記事に出てくるはず。
ビンボーゴッドさんのしわざだったっけ…
自分で造り上げた観念が、悩みのおおもと。
深く考えることと悩むことは全く別次元でありました。
そして、ぐるぐる思い悩んでいる頃、毎朝通勤時に聴いて気持ちをリスタートしていた音楽があります。
「始めからはじめよう」/Passport to Heaven
記事の中で紹介されています。
かつての通勤路にある小さな道祖神社の前を、とぼとぼ歩くイヤホンの私がキュンと思い出されます。
音楽聴きながら、毎朝この石像の前で手を合わせていました。
再会
さて、第1回バカボンブログ。
の中のSF小説、「冷蔵庫の穴」。
2006年頃に山田夫妻で創作したというこの小説を、しょっぱなにドーンと掲載されたのは、波動学につながる大きな意味があるからなのでしょう。
しかし、私がそんなことを知る由もなく、以下の部分にひたすら共鳴していたのでした。
彼女もあたし同様、温もりを求めているはず。自分を愛せないまま、日々を過ごしているのだ。この一件が起きてからあたしは、『虚』という存在に親近感を抱き始めていた。それは、彼女の、そして自分の心に宿る『虚』が具現化されたものなのかもしれない。
あたしは目を閉じ、全神経を集中させ、そっと彼女と鼓動を重ねる。あるだけのエネルギーで、間違いのない自分を守るように。決めた。会う必要はない。会った所でそれは自分なのだ。
https://koji-yamada.jp/2011/06/21/123151/
それが、私と『虚』との再会でした。