17.愛を語れない

胸の奥にある大切な想いは、言葉には変換できない。

どうにか単語を並べてみても、

嘘をついているような裏悲しさがつきまとう。

愛、という表現すらもどかしい。

自身の静寂の内に鎮座しているもの。

瞬きと呼吸の隙間にその存在を垣間見る。

滲み出るもの

今回のバカボンブログ学習は、戦い_その後、愛の位置を考える。です。

その前の記事も、再び読んでじっくり考えました。

「記事に取り上げるようなこと?」と最初は思いましたが、敢えてアップされたのは、「無償の愛」の真の意味を知る必要があるため。
そこから生まれる自信(信ずること)と勇気。

我々は意識体とそれを被う肉体でできています。肉体には脳も含まれます。
意識体には波動に繋がる感情と悠久の記憶が存在します。方や、肉体(脳)には物質として産まれた経験やノウハウが蓄積され、その経験から観念を作ります。
愛とは意識体が持つ感情、記憶です。それを肉体(脳)に転移させると憎しみと似た観念に変わってしまうのです。

愛という感情を観念に変えてはいけません。

https://koji-yamada.jp/2012/01/13/125816/

私(あなた)の思うその愛が、裏を返せば欲であったり、自己満足であったり、他、総じて観念であることに気づくことが大切なのです。

悠久の記憶の存在は、皆、ほんとうは心のどこかで知っているのではないでしょうか。

心の琴線に触れたとき、甘くもせつない脈動を感じたとき、溢れる想いを堰き止められないとき、静かに胸が花開くとき、

遍く満ちているものと繋がっているような気がするのです。

サーフィンでも音楽でも何でもいいです。
精一杯やって最後のさいごに残るもの、そこからしか<7次元波動イフェ>に繋がる受け皿はできません。
もしそれを獲得したのなら、こんどはそれをこころの内側に入れておかなければならないのです。
愛をこころの外側(脳)に置いておいてはいけないんです。

https://koji-yamada.jp/2012/01/13/125816/

感情を含み超えた、文字通り”精一杯”を超えた体験が、その人の滲み出るものとしても感受できるのではないかと思います。

これも大事MAN大事WOMAN

今、またスピリチュアルブーム的な感じもありますが、選民意識をくすぐられ、キラキラ・ポジティブ思考の強迫観念が出始めたら、冷静になりましょう。
依存している自分に気づきましょう。自分を救うのは誰なのか。

思考的に肉体的に極限まで消耗し、疲弊後にちゃんとした新陳代謝が起こり、洗脳脳が正されるんです。 

https://koji-yamada.jp/2018/12/18/think-emf/