今回のバカボン学習は「惑星ニビルについて」です。
惑星ニビルをよく知らないのですが(当たり前か)、検索すれば、”Planet 9”とか”Planet X”ともいうらしいですね。
ニビル=デビルのイメージがあって、悪い奴〜みたいですが、子供の頃は、アニメ『デビルマン』の大ファンだったため、ちょっと気になる存在です。
で、この記事を読んでいると、私的なことですが、弟のことを思い出しました。
ボノロンの話が出てきたからです。
バカボン記事の内容とは関係ないのですが、22年経過した今、再び、感謝の意を込めて記したいと思います。
ガリバーと祈り
私が33歳の頃、一つ下の弟が瀕死の事故を起こしました。
その日、癌の手術が成功した母の退院の前夜でした。
弟と、母を迎えに行く打ち合わせなどしながら、前祝いと称して気分良く乾杯しました。
しかし、何かの拍子に口論となり、私は弟に「帰れ」と言いました。
その数時間後、義妹から電話が入り、弟が救急病院のICUにいることを知りました。
駆けつけた私は、弟の姿が目に入るや否や、その名を泣き叫ぶしかありませんでした。
広範囲の脳挫傷でした。医師からは、生命の保証はなく、もしくは脳死状態になる可能性が高い、と告げられました。
義妹のお腹には第二子が授かっていました。
親族が交代で24時間体制で看病にあたり、話しかけ続けましたが、幾日過ぎても意識回復の兆しはありません。
時はどうあがいても事故前に戻ってくれず、自分の行為を悔やんでも悔やみ切れませんでした。あの時「帰れ」とさえ言わなければ。
義妹と母の表情が、胸に突き刺さります。
皆で祈るしかありませんでした。
看護師さんも、毎日話しかけてくださいました。
1ヶ月ほど経過し、霊視能力があるという、義妹の親族の知人が来てくださいました。
その女性が、力強く言われたのです。
意識は必ず戻る。これまで以上に全員が心ひとつになって祈り続けるように、と。
ありふれた言葉のようですが、その語気には何かが含まれていました。
それから1週間ほど経ったある日、弟が言葉を発した、と連絡が入りました。
弟の友人が話しかけ、名を尋ねると、事故後初めて口を開いたのです。
「ガリバー」と。
今では、家族の笑い話ですが、当時は涙を流して喜びました。
ガリバーでもなんでもいい。
もちろん、本人は一切覚えていません。
その時すぐに、小学生の頃に弟と二人で絵本「ガリバー旅行記」を読んだことを思い出しました。私が朗読して、弟はいつも、小人たちに縛られたガリバーの絵を大きな目で食い入るように見つめていました。
弟は無意識に暴れて酸素マスクやチューブ等を外すため、体を拘束されていました。
なので「俺はガリバーか!」と、ツッコミを入れていたのかも知れません。??
「ガリバー」発言をきっかけに、どんな経緯で意識が蘇ったのかわかりませんが、その後徐々に記憶や体の機能も戻り、後遺症は残ったものの奇跡的に退院できました。
弟が事故の現場検証に行くと、警察官から「本当にあの時の事故の人?生きてたの?!」とかなりびっくりされたそうです。事故直後に死のいびきをかいていたそうなんです。
とにかく、巨人の”ボノロン”そして”祈りの力”という箇所で私の過去の記憶が繋がった。とまあ、それだけの話ですが、これだけは言えます。
祈りの力は本当にあります。望みが叶う、という意味ではなく。
全身全霊で祈り続けている間、私という「個」はありませんでした。
親族全員がそうだったと思います。
目には見えない、光を放つフォースを感じ取っていたのです。
この出来事がきっかけとなって、私はそれまでの仕事や友人とは波長が合わなくなり、介護業界に転職しました。その後20年以上も続けるとは、思いませんでしたが・・。
意識のズレを俯瞰できるか
煩悩とは一体何か。
仏教用語では、人間の心身の苦しみを生み出す精神のはたらき、または、悟りの境地を妨げる一切の精神、とあります。
バカボンブログでは、さらに詳しく、こう説明されています。
・煩悩とは元々物質の次元整合性の欠如から生まれる意識。 ・地球自身が次元整合性をとるための赤道傾斜角により、108種の変性(闇性)物質は本来の意識(光を受けて反射する)からズレた意識を反射する。 ・そのズレが、人心にも影響を及ぼす。それが煩悩。
そして、地球が太陽赤道面と水平に自転していれば煩悩は起こらない、ということですが、地球はその重力(意識)のために、赤道傾斜角をつくる・・・。
ゴリ押しで言い換えれば、苦しみや争いの元をつくる煩悩があればこそ、地球の重力を維持しているっつーことでしょうか?
っつーことは、与えられた煩悩を受け止め、俯瞰して理解して昇華させることが、地球とともに生きる役割なのかなあ、と思ったりもします。
事故や、人間関係や、病気や争いも、元となる煩悩が表した現象。
ボノロンたちも、ヤハウェの命に背くまでは煩悩に悩まされたに違いありません。