アルザルという言葉で、8歳の時の夢を突然思い出しました。
その夢の世界がアルザルに関係あるということではありません。
ある日の夕刻、8歳の私は両親と3人で近所を歩いていました。
空はどんより薄暗く、美しい夕刻の風景ではありませんでした。
左から、父・母・私と横一列に並び、ただただ黙って無表情で歩いていました。
ふと、右を見ると、いつもの知った道なのに、見慣れない地下に続く石段がありました。
私は立ち止まり、まるで下から誘われるように、黙ったまま降りていきました。
石段は何段あったか定かではありませんが、子供の足で一段一段、ぴょんぴょん飛ばないと降りられません。
地下に着いたところで後ろを見上げると、両親はいませんでした。
何とも思わず、前に向き直すと、古い木造の大きな門が開いています。奥に見えるのは天井の高い、大きな寺院のようでした。
いつの間にか、老人(男性)が現れ、無言で奥に案内されました。
そして「しばらくここではたらきなさい。」と、テレパシーで伝わりました。
私は寺院の前を箒で掃く係で、淡々と日々が過ぎていきました。
その間いろいろあったようですが、そこはカットされて覚えていません。
ここまで音声は全く無く、モノトーンの世界でした。
夢の中で3年ほど経った頃、「終わり」をテレパシーで受信したと同時に、お寺にいる人々が現れ、優しく微笑んでいます。
そこでパッと景色がカラーに変わり、音声が聴こえ出しました。
私は、とても清々しい気分になり、一歩一歩踏みしめながら石段を上がりました。体が成長していたので楽に上がれました。
登り切る少し前で振り向き、右手を大きく振りながら、「ありがとう、さよならー!」と、地下の人々に向かって満面の笑顔で叫びました。
前を見ると、両親が笑顔で迎えに来ていました。
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ここで目が覚め、しばらくの間は夢と現実の間で彷徨っていました。
長い夢があまりにリアルだったからです。そして8歳児にとっては、達成感のような、未知の感情をいつまでも引きずっていました。
驚いたのは、数日後に全く同じ夢を観たことです。
しかも夢の中で、次の展開を分かりながら同じ行動をし、同じ年月を過ごします。
そして同じところで目が覚め、またしばらく、どちらが現実なのか分からない状態で過ごしました。
その頃から、実世界だと思っているこの世は、実は夢なのではないかと漠然と思うようになったのです。